さっかーと日本人

基本的にあまり興味がないし、日本戦ですら真面目に見ていないので、選手がどうこうとは言わない。でもなあ、マスコミのあおりとそれに乗る人たちはおぞましい。
W杯開始前からの無理矢理な盛り上げ、苦々しく見ていた。もちろん視聴率を稼ぎたい!が中心だと思っていたのだけれど、オーストラリアに負け、クロアチアと引き分け、決勝トーナメント進出には次戦ブラジル戦で2点差以上での勝利が必須(だよね?)という状況で、どーーーー考えても勝てるわけがない("勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし"というけれど、この2戦はどうみても後者だよな?)にもかかわらず、マスコミは"そんなことはない!"的な論調が多い。それも視聴率云々というよりも、本当にそうあって欲しいと望んでいるような感じを受ける。冷静な分析も的確な対応案もなく。本気で気合いで勝つとでも思っているかのように見える。そして冷静な分析でもしようものなら、"日本が勝つことを望んでいないのか!"、"それでも日本人か"的なリアクションが透けて見える。

これって、過去にもありませんでしたか?

そう、"日本は勝つ"、"アメリカになんて負ない"と声高に叫び、冷静な分析でアメリカには勝てないなんて言おうものなら、殺されかねない雰囲気であった約60年前です。
今の多くの人は、"戦後日本は平和になった、戦前の日本は今の日本とは違うおかしな国であった"と思っていることだろう。確かに一面そうかもしれない。しかしやはりどちらの世界を作ったのも同じ日本人(の精神、魂、メンタリティ)だと思っている自分には、この風潮は本当におぞましくもあり、悲しくもある。どうしてそうなのか?と


#まあ、すべてのマスコミの報道を真面目に見ていたわけでもないし、"戦争"ネタには思い入れも強いし、そういう風に見えてしまう思いこみもないとは言わないし、世界を含めてそういうもんだよという見方もあろうがね。でも嫌な感じがするのだよ。本当に。

このメンタリティで明治維新を成し遂げ、経済大国になったと言える。しかしこのメンタリティのために、米英に無謀な戦争を仕掛け、すべてを壊してしまったことも忘れてはならないと思う。

#「精神論」という言葉には人によっていろいろな思いがあるだろう。気合いは大事ですよ。もちろん。でもそれだけでは勝てないですよね?それを一番知っているのは日本人ではないのかね?
今の「魂」だの「負けられない戦い」だのとか言っている人を見ると、「気合いで、魂で、ロナウド(だっけ?)を止められるのか?今までそれ以下のレベルの選手も止められていないのに?それもたった数日後の試合で?それって"竹槍でB29が撃墜しろ""練習機で特攻して空母を沈めろ"と何が違うの?」と聞きたくなってしまうのだわ。

#あ後、言葉の軽さもイヤ。「魂を〜」「魂で〜」とか聞くと「魂」という言葉も安くなったものだとしか思えないし、それに試合前は口を揃えて「死ぬ気で戦う」とか言っているのに、後半バテて歩いているとか(死ぬ気でやるんじゃないの?)。

これ以上書くと支離滅裂になる(なりつつある)ので、このへんで。