キター

SPACE RACE

でも引っ越し予定の真っ最中。忘れないようにしないと、録画できる体制まで確立しておかないと。

しかし、フォン・ブラウンの功罪は相半ばするよなあ。彼がいたからこそ人類は宇宙に行けたといえる。しかし彼がいたからV2以来のICBMをはじめとするミサイルの脅威が存在している。いや結局は誰かがやったのだろうけれど。
たぶんフォン・ブラウン自身にはロケット/ミサイルを作って大量殺人をしようなどという考えなく、ただ宇宙に行きたいという好奇心だけだったはずだ。しかし彼にも分かっていただろう。それがどう軍事的に利用され、その結果がどうなるかどうか。協力するかしないか。それがもう人それぞれの考え一つがだとしたら、やはり人間って生物として"欠陥品"なのではないか?いやそれが人間という存在なのかもしれないな。

これは核兵器にも言える。今の科学者(卵も含め)はどう思っているのだろうか・・・。

そう考える、『映像の世紀 第2集 大量殺戮の完成』で最後に流れた、ウィンストン・チャーチルの言を思い出してしまう。

「戦争から煌きと魔術的な美がついに奪い取られてしまった。アレキサンダーやシーザーやナポレオンが兵士たちと危険を分かち合いながら馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する。そんなことはもう無くなった。これからの英雄は安全で静かで物憂い事務室にいて書記官たちにとり囲まれて座る。一方何千という兵士たちが電話一本で機械の力によって殺され、息の根を止められる。これから先に起こる戦争は女性や子供や一般市民全体を殺すことになるだろう。やがてそれぞれの国には、大規模で限界の無い一度発動されたら制御不可能となるような破壊のためのシステムを生み出すことになる。人類は初めて自分たちを絶滅させることができる道具を手に入れた。これこそが人類の栄光と苦労の全てが最後に到達した運命である」世界の危機より
このシーンは鳥肌だったな。

まあ、おまえが言うか!ってとこだが。