広島原爆の日

犠牲になった方々には、この過ちは繰り返さないと黙祷することしかできない。

でも今の状況は本当に「過ちを繰り返さない」ことに向かっているのでしょうか?北朝鮮の核開発、韓国の竹島不法占拠、中国との尖閣諸島問題。本当に日本人は「過ちを繰り返さない」ことができるのだろうでしょうか。国際関係は良くも悪くも勢力均衡せざるを得ないところがあるでしょう。特に東アジアは、EU諸国のような関係になっていないです。日本列島の位置も戦略的に良くも悪くも重要な位置ですし(発想が19世紀的かな?)。
戦争は一人ではできないです。こちらがしたくなくても、相手がしたければ戦争になります。
某国がこの島が欲しい、日本は弱いから奪ってしまえ、と思えば、戦争になります。こちらが何を「言って」も無駄でしょう。
なぜそうならないか?と言えば、やはり憲法九条があるからではなく、アメリカに喧嘩を売ることになるからでしょう(まあ国際的な非難も浴びますし、経済的にも損ですし)。離島だから戦争するよりも放棄すれば?とか、降伏すればいいとか、無防備宣言すればいいとか。そんなことで本当にいいのでしょうか?それが本当に「誤りを繰り返さない」ことになるのでしょうか?

もちろん戦争できるようにすればいいとか、したいとか言っているわけではないです。個人的には、仮に自衛隊にいても海外に行くようであれば、退職するでしょうし(言い悪いではなく、個人的な信念ですので念のため)、徴兵忌避して刑務所に行ってもよいと思っています。が、仮に本土での防衛戦とかになれば、戦うことでしょう。

つまり今のていたらくで本当にいいの?ということです。戦争しないならしないで、もっと高度な政治というか、外交が必要なのではないか?ということです。戦争する以上の、戦争しない努力をすることが必要なのではないか?今の状況はアメリカの核の傘の下という楽な環境で、机上の空論をもてあそんでいるだけではないか?と思うのです。

「人間の社会には思想の潮流が二つあるんだ。生命以上の価値が存在する、という説と、生命に優るものはない、という説とだ。人は戦いを始めるときに前者を口実にし、戦いをやめる時後者を理由にする...」

田中芳樹銀河英雄伝説』第一巻

「しかし、その平和が恒久的なものになりえますかな」
恒久平和なんて人類の歴史上なかった。だから私はそんなもの望みはしない。だが何十年かの平和で豊かな時代は存在できた。我々が次の世代に何か遺産を託さなくてはならないとするなら、やはり平和が一番だ。そして前の世代から手渡された平和を維持するのは、次の世代の責任だ。それぞれの世代が、後の世代への責任を忘れないでいれば、結果として長期間の平和が保てるだろう。忘れれば先人の遺産は食いつぶされ、人類は一から再出発ということになる。まあ、それもいいけれどね」

田中芳樹銀河英雄伝説』第一巻