どうしても書かずにはおれない気が

埼玉の園児死傷事故、運転者に危険運転致死罪適用されず

自分は法律は素人ですが、これは"法律"的にはしょうがないのではないでしょうか?「危険運転致死罪」は"結果"(ぶっちゃけ何人死んだ)ではなく、"過程"(大酒飲んだにもかかわらず、トラック運転したとか)を問題にしているのですから(違いますか?)。

"過程"ではなく、"結果"を問題にするのが本当にいいのでしょうか?

では、"大酒飲んでまっすぐ運転できないにも係わらず、トラック運転して、老人一人をひき殺してしまった"と今回では、どちらが罪が重いのでしょうか?
その理由(故意だろうが過失だろうが)にかかわらず、園児が4人死ねば「危険運転致死罪」ですか?じゃあ園児3人なら?園児1人なら?老人一人でも死ねば?「危険運転致死罪」ですか?

3人死んだら「危険運転致死罪」とでもしますか?まあそれでもいいですけどね。というか車という「凶器」を操ることに対する罰則が弱いかも?というところもありますので。あ、幼い姉妹がお買い物の途中で殺されてしまったら、今度は2人死んだら「危険運転致死罪」になるかもしれませんけれど。

死んだ人間と運転の過失度合いのマトリクスを作って刑罰決めていきますか?ということなんでしょうねえ。きっと。

何というか、そりゃ脇見運転も悪いでしょうよ。でも結果が園児4人ではなく、老人一人であれば、ここまで取り上げられたでしょうか?そうは思いません。つまり"結果"重視ということですよね。本当にそれでいいのでしょうか?

感情的ではない冷静な議論をして欲しいと思います。何というか、最近そういう感情に流された乱暴な議論(というか感情に訴えたマスゴミの過剰反応)が多いような気がします。


え、自分が親の立場になっても、そんなことを言うのかって?
自分は「復讐」しますよ、きっと。
復讐するは我にあり」って言葉は、「人間は復讐してはならない、復讐は我=神が行う(行うのかどうかは分かりませんが)」ってことらしいですね。今に置き換えてみれば「我=法律」というところでしょうか。任せることはできませんので。

なんというか、そう思わざるを得ない事件+裁判結果、多いですよね。



ああ、ちょっと言い過ぎかなあ。